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名探偵コナンに関する私的まとめ記事①
名探偵コナンというコンテンツの継続性が重要。
この視点からみると、コナンの最近の劇場版の興行収入は、シンゴジラを優に超えている。
- 名探偵コナンと平成という新著を書くに当たって
「名探偵コナンと平成」という題名を見てまず考えるのが、コナンについての雑学やニッチな知識の記載が足りないなどの批判が考えられる。
(例よく言われる〜が不十分である。〜の愛が足りてない。)
- 名探偵コナンと平成の語り口について
名探偵コナンと平成の語り口は、平成という
時代の変化を様々なデータによって浮かび上がらせる表現方法をとっている点に重要性がある。例えば、時代の変化に即してない内容で漫画を描こうとすれば、そこで筆が止まる。(例 強烈な父権社会 etc)
- オタク分化の歴史
オタクの文化の歴史の流れは、少女漫画がある、
- ラブコメの起源
- これは謎本の批判にも通じる話だが、男性向けラブコメについてレイプファンタジーとして批判される語り口が一部の間にある。しかしながら、批判するのであれば。無論ラブコメ全体への批判としてローマの休日から始まる文化についても、否定の対象となりうる
- 名探偵コナンのコマ割りとレイアウトについて
名探偵コナンのコマ割りには、漫画におけるコマ割りの型にとらわれない部分が表れている。これは、ミステリという特性の結果なのかもしれない。例えば、普通漫画というのは、キャラの可愛らしさなどを表現するためにコマが割られる。
しかしコナンの場合、キャラの顔と凶器が同じ大きさで描かれていたりする。
さらに、青山剛昌のコマ割りの特性としてレイアウトのうまさが挙げられる。これはカメラワークも含めて、青山剛昌がアニメーター志望であった話とも符合する。
- 漫画家と作家性について
総じて、青山剛昌は、漫画企画としてアニメ企画を作ろうとしている作成方法をとっているのかもしれない。これ自体は、アメコミでもよくある作成方法の一つである。日本の他の漫画家は、それと比較するとすこし異なる作家性を持っているのかもしれない。以前の漫画創成期の漫画家は、同じような作成方法をとっていることも多かったように思う。
日本でアニメといえば、スタジオジブリがわかりすい。一般的によく言われるネタとして、ジブリは、漫画家宮崎駿とアシスタントで構成される、漫画事務所に似ていると言われる。しかし、この古くからあるシステムのみが現在唯一徒弟制度的な性質を保てる唯一の制度といえなくもない。
よく言われるのは、
個人主義→文学
分業制 → ゲーム制作
この上記2つに比べて、漫画はその中間に軸足を置いている。
進撃の巨人→文学的な作品
名探偵コナン→スタジオ形式の分業制の作品。
- ジェンダーの変化について
昔のスレイヤーズに代表される戦闘美少女の描かれ方は、
自分の説教態度を確保した上でのジェンダーバランスだった。
女性の価値観は、多様ですね。やれやれのような感じ。
- オタクの世代変化について
オタクの第一世代と四世代は、団塊ジュニア世代の年代を除いて、親和性が高いのかもしれない。
- これからのコナンとMCUについて
今回のコナンの映画も終始外国人については、英語をしゃべり舞台も外国だ。この点からするとコナンは、アジア地域などのハリウッドに対して
支持が少ないところに打って出ていこうとしているのはないか。
MCUに話を戻すとマーベルはスタンリーの作品だけではない。
しかし、MCUの作品はもはや監督の名前を視聴者が覚えていない。これはつまり、作家すら分業制になっているということだ